2015年 12月18日(金)19:00からナティーク城山にて因島青年会議所12月例会行事 テーマ「明日への扉」を行い、これまで因島青年会議所の発展に貢献してきた3名のメンバーを送り出す卒業式を執り行いました。

例会行事の中で3名の卒業者による青年会議所への思いを語っていただくラストスピーチが行われました。

 

卒業生ラストスピーチ

hakozaki

箱﨑幹久君(主な役職 45周年事業実行委員長)

卒業おめでとうございます。そうですね、いまJCライフを振り返った映像を見て思い出して話をしようと思うのですが、作ったのは真太郎(専務理事補佐)?(「はい」という声)彼らしいらしい、よくできたんじゃないかと(笑い声)ありがとうございます。

またちょっと勇介(昨年の映像担当)のほうがうまかったかなと、実際ですけど…

まあ、あの…色々と言ってくれと言われていますが、そんなにすべてを伝えきれるとは思えませんが、プロフィールを見ながら2008年度JCのなかに入って人間力委員会に入って、このときは右も左もわからないまま、まあいろいろやってきまして、このときの思いでっていうんですかね。僕の思い出はこれはわんぱく相撲の全国大会に行ったときに柏原先輩と東京でいろいろ(笑い声)連れて行ってもらったり(笑い声)すごいJCのお偉いさん方と一緒に飲んだのを覚えています。

この時初めてJCの凄さというのを感じました。まあこのくらいでいかないと10分って長いので…

次ですが2008年じゃないですが、右も左も全くわからないまま委員長をやってくれと言われて、「うんうん」って言ったのですけど、何もわからないままやっただけやったのですけど、この時が一番しんどかったのかなと思います。

右も左もわからないまま(今年度の)岡野委員長と一緒だったのではないのかなと思います。でも受けた以上は自分がやらなければ迷惑がかかるし、というのがあってがんばってといった思い出があります。

それでこの年ブロックのほうも初めての出向で、それこそまた右も左もわからないままブロックの意味も分からないまま行って、まあ楽しかったという思い出が一番ですね。ブロックのほうの初めての委員会に行って多くの人と知り合えた、これがJCに入って良かったことの一つであります。

2008年にアワードを取ったときの思い出がもう一つあるのですが、当時理事長であった岡野淳平先輩と一緒に夜行列車に乗って尾道から受賞式会場の浜松に行くのですが、あの当時が夜行列車の最後くらいじゃなかったんですかね。浜松までそれもほぼ当日一緒に行ってくれないかと。淳平先輩だからいこうかということになってついていったのですが。

その時の初めての全国大会もJCの凄さを人の凄さをメンバーの数も初めて目の当たりにしました。あの時はすごく楽しかったです。一つ残念なことはデジカメをもって行ったのですが撮るのを忘れ、携帯の写真も撮ったのですがその写真も紛失して全部ありません。いまだにいまだに、淳平先輩にそのことを言われております。(笑い声)すいません。

2010年2011年と来まして、11年に副理事長をやったのですがこれも大変でしたね、ここから(当時、副委員長であった村上)力君が横から見えるのですが大変でしたね。

2013年に45周年委員長をやってくれと言われたときは本当に断ろうと思っていたのですが、中郷君が本日の3分間スピーチで言っていたようにやはり人数が少ないので断ることもできず出てしまいました。大変でしたこれは。副委員長を藤田君がやってくれたのですが、すごく大変だったのではないかなと思います。

2014年2015年は終わったので…(笑い声)どうですかね適当に…というかやらせていただきました。2014年・2015年、去年の(巻幡)直前と今年の沢野理事長にはあまり例会にも行かずに申し訳なかったと思います。すいませんでした。(直前理事長目をぬぐう)

以上で終わりにしたいのですが、JCに入ってよかったといえるのはやはり(目をぬぐう)色々な仲間と知り合えたことではないのかなと思います。

当時10人位同期入会者がいましたが、退会した人もいましたがその人々に巡り合えたというのがJC活動で一番良かったのではないかと思います。とくに同級生でもある柳田君と高橋君と一緒に活動できたのはすばらしいことであったと思います。あと、残ったメンバーに言いたいことは私はJCに入る前は地域で全く無名な存在でした。入会候補にも挙がっていなかったはずです。その理由はと色々考えられると思います。(残ったメンバーなりの成長を)ぜひ見つけていってください以上です。

 

takahashi

高橋圭司君(主な役職 2013年度理事長)

改めましてこんばんは。本年度で卒業させていただきます、高橋です。

一言思いを述べよということなので、一言言いたいと「わがJCライフに悔いなし」本当に、8年間ですけど本当に楽しくて本当に素晴らしい時間を過ごさせていただいたと思います。

先ほどのJCライフを振り返った映像の中で本当にいろいろ過去のページをめくる様に思い出したのですが、8年間の中で僕が本当に印象に残っているのは、初めて委員長をさせていただいた時とあと理事長をさせていただいた時。

この2010年桧垣理事長の時と(2013年)僕が理事長をしたときのふたつなのですが、もっとさかのぼってまだ右も左もわからない2008年の卒業式の時、ある先輩が卒業の時に言った言葉が何故かずっと心に残っているのですが、「JCをとりあえず一生懸命すれば気が付いたら後から自分が成長しているよ」と今日も(その先輩が)いらっしゃってるんですが言ってました。僕も元々JCに入って自分をもっと成長させよう、自分に足りないもの今必要としているものを身に着けようとJCに入ったので、すごくその言葉にぐっと来たのですね。

それでその言葉を思いながらやってきたのですが、そのなかでそれから2年後の2010年に委員長をしたときに…まだ入会3年目くらいで今のメンバーの方とそんなに経験年数が変わらないくらいで委員長をしたのですが、とりあえず本当にがむしゃらに、先ほど箱﨑君も言っていましたが(委員長を)受けたからにはそれだけの責任もありますし、同期でたくさんいたので弱いところを見せたくないし、といったところで本当にもうがむしゃらにやってですね。ひどいときには毎日委員会でもなく毎日JCルーム行ってに深夜2時・3時まで…、家に帰ったら嫁から「なにをしているの」かと。(笑い声)本当に毎日のことですから…

そのとき商店街の方と一緒に「灯祭り」と言って事業をさせていただいたのですが、その中心となる鉄製のタワーを作ってたんですね…。柏原先輩の会社の工場をお借りして作ってたんですね。夜な夜な行って勝手に電気つけて勝手に作っていたんですが、もう本当にそんな感じで無我夢中で、もう気が付いたらそこに行ってるんですね。工場に行ってとりあえずタワーを組立てたりとか、どういった飾りつけにしようかと考えたりしていたら。別に僕が声をかけたわけでもないのに当時のメンバーが集まってきてくれて、最終的には一緒に作り上げていったという形ですね。本当にあの時はもう嬉しいというか本当に感動するというか、みんなの力が集結されたらすごいんだなということを本当に感じました。

その時の思いもあって理事長をさせていただいたときのスローガンを「団結」とさせていただいたのですが。その年も45周年の記念事業と式典と1泊2日のブロック会員アカデミーの主管が理事長になる前から決まっていましたので、これは本当に人数も少ない中でやり遂げるには全体で一つにならないとこの事業はやっていけないなと思っいました。

そこでいい形で作れれば次の年その次の年とつなげていけるなと思って「団結」というスローガンを掲げさせてもらって。理事長をやった一年間本当に多くの人に助けてもらって何とか一年やらせていただいたのですが。その時のエピソードで45周年をやってその次の週にもうアカデミーをしたので、メンバーみんなが自分のキャパを超えて100パーセント以上150パーセントの力を出していたのではないかと思いますね。アカデミーが最終日の昼に終わって片付けの時にみんな駐車場に横たわって一歩も動けないような状況で、本当に力のある限りやりとおしたといった形でしたね。

その時も本当にうれしいというか感動しまして、もう…もう…表現できない気持ちでしたね…。それがあったので多少の反省もありましたが大成功、もう大大大大成功であったとその時の挨拶にもさせていただきましたが思っています。

やはりこのJCは本当にいい団体だとお思いますし、ひとりひとりがみんなに支えられているという形ですね。僕のJCの好きなところはそこなんですね、本当にひとりひとりがが支えあって言いにくいことでもズバッと言ったり言った後もサッパリとしている。普通であったらもう顔も見たくないとなるのですがそんなこともなく。理事会とかだと本当にいやな顔で話をするわけですが、次の日になるとスパッと切り替えてやっていく。だからと言って助けないわけではなく、助けるし。本当にいい団体だなと思います。

このままだとグダグダになりますが、本当に伝えたいのはJCは自分次第だと思います。これに尽きると思います。私も卒業スピーチでいろいろ考えたのですが、本当に己次第、自分次第です。

(例えば)友達を作るのも自分次第ですよね。

自分からそうしたアプローチ、挨拶したり、名刺交換をしたりしないと仲間もできないですし。いくらそうした場にいても自分が楽しもうと思わないと楽しめませんし。成長することに関しても、自分が勉強しようとか人の長所に気が付かないと学べませんし。本当に自分次第であったと思いますので現役のメンバーは自分次第で何とでもなります。

僕も卒業したら次のステップをこうしようと色々と計画しているのですが。よく仕事がいそがしいとか家庭の問題とかありますが全員そうしたことはあるとおもうんですね。本当に全員そうした問題はあると思うんですね。ただ表に出していないだけですよね、そう思って本当につらい事もいやな事も面倒くさい事も進んでやっていってもらえればと思います。

できるできないは後回しですよね、とりあえず行動でやりましょう。

もう卒業しますけど、陰ながらですがエールは送り続けますので僕たちが去ったあと青年会議所のために頑張っていただきたいと思います。最後に8年間OBの先輩にも大変ご迷惑をかけましたし現役のメンバーにもいろいろ助けてもらって僕も成長できました。

ありがとうございました。

yanagida

柳田耕助君(主な役職 2012年度理事長)

前のふたりと一緒で2008年に入会して、8年間本当にあっという間に駆け抜けたような気がします。入会したのが昨日のことのように短かったなというのが今の実感ですね。

僕が入会するきっかけになったのはそちらにおられる先輩方でなくて、そこにいる直前理事長の臣持君でした。先輩方に勧誘されていましたがなかなか腹を決められない僕を臣持君が背中を押してくれて、入会しようかと決心がつきました。(地元の)後輩に言われてもウジウジしている場合じゃないと思いました。

その時に臣持君とどうせ入会するなら過半数を取ってから発言力を持って入ろうと必死に(JCへの入会を)勧誘して同期が十数名で入会させてもらったのですが…。一番最初に、すぐ気づいたのですが…過半数とっていても全く先に入会していた先輩方に勝てないなと、上には上がいるなとすぐに気が付きました。

当時直前理事長が寺西先輩で淳平先輩が理事長で2008年がスタートして、こんなおじさんみたいになれるかなと不安から始まったのを覚えています。

1月定時総会の後に褒章の授与式がありまして、小丸先輩が例会の皆出席それも普通の皆出席ではなく入会から卒業まで一回も休まなかったという例会の皆出席をいただいたのを見て僕もこれをまねしようとやったのですが、残念ながら2011年1回だけ休んだんですね。雨で事業が延期になってセレモニーだけやった例会だったので実質的にはすべて参加しているんですが…出席した例会はすべて無遅刻、皆出席には若干届きませんでしたが遅刻は無遅刻これが僕の8年間で一番自慢にできることかなと思います。

翌年2009年にいきなり総務委員長で、何もわからないまま始まって、理事会がなにかも総務委員長の役割もわからないまま始まった一年間初めてのことばかりでした。

そして2010年は柏原先輩がブロックの監査担当役員で出てそのセクレタリーに行かせていただいてブロックに出て皆さんに圧倒されてもっとすごい人がいるな。僕なんて全然だめだなと思いながらまた不安を感じた一年であったと思います。

なのに翌年2011年はまた分からないまま専務理事で理事長さんとも付き合うようになって、(当時の)永宗理事長はやさしかったのですが(ブロックの)他の理事長は怖くて、また不安なまま一年を過ごしました。

2012年、次は自分で立候補して経験の少ないまま理事長をやってしまいまして、途中までは不安だったんですけどね、途中からは自信がついてきました。そんな風に理事長になるまで不安であったりだとかまだ経験がないからだとか言い訳と不満を言いながら過ごしてきた期間があったかと思います。

今考えてみますと、どの役職も今ここにいる現役のこれからのみなさん誰でもできる役職であったかなと思います。ただ不安に思っているから怖いだけであって自信がなかったのかなと思います。

でも不安ながらこの役職を務めさせていただく中で自分に自信がついてきたというのが分かってきました。特に先ほど高橋君も言っていましたが理事長をやっているときに一番充実して自分に自信がみなぎってきているなということを確信しました。ですから今あることやるべきことを皆さんもがむしゃらに一生懸命やっていただきたいなとおもいます。自然に自信が身につくのではないかと思います。

今日は弓場委員長から、皆に伝えること伝えたい事それで自分の事業を振り返ってと言われて、なかなか振り返ったけど思い出せないんですね。

実は今日(式典会場の)ここに来たと同時に色々なことが走馬灯のように思い出されてきてこの思い出をすべて話しきる時間がないので後で話したいと思いますが…、でも先ほども言ったように確信して言えるのはこの因島青年会議所での活動は自分の柳田にとって自信につなげるための8年間であったかなと思います。

何度も言いますけど皆さんも今やること・やるべきことをがむしゃらにとりあえず頑張っていただきたいなと思います。ほかの事業への思いというのは二人が話してくれたのでいいかなと思うのですが。

最後に一つ、私が一番駄目だったかなと思うのですが、皆さんプライドがあると思います、誰にでもプライドがあると思います。いまさっき言ったように自信がない人や不安がある人はそのプライドが前面に出て少しのことでもイラついたり不平をいったり怒ったりするそんな風に思います。自信があって強い人はそのプライドを心の奥底にしまい込んでバカな人間にもなれますし、余裕をもって行動できると思います。と、いうことで皆さんに伝えたい事は一生懸命楽しんでがんばってこの因島青年会議所で自信を身に着けていただけたらということを伝えたいと思います。

最後に確認を…淳平先輩と寺西先輩のようになれるかなと思ったのが僕の32歳のスタートだったのですが、あの時の先輩方のようになれたかなと思うのですがいかがでしょうか?(笑い声)

寺西先輩:「畏れ多くて…3人とも立派になられたとおもいますので、さらなる高みを目指して頑張ってください。」

ありがとうございます。

sotugyou

因島青年会議所ばかりでなく多くの地域の方や青年会議関係者に支えられた3名のJCライフであったかと思います。

経験豊富でこれまで中核となって因島青年会議所を支えてきてくれたメンバーを送り出すこととなりましたがこれをバネにさらに発展を目指していきたいと考えます。