青年会議所(JC)の誕生には国によってその原点を異にしているが、国際青年会議所(JCI)の誕生に至るまではアメリカJCの活動力によるところ が大であった。1905年の初め、セントルイスの若い銀行員ヘンリー・ギッセンバイヤーは、この社会は青年が真に 活躍すべきで、その為には伝達の媒体が足りないと思っていた。
1910年、彼は「青年の活動」に心を燃やして「ハーキュリアン・ダンス・クラブ」を起した。これは社会団体として初 歩的なものであり、もっぱらミーティング場所となっていた。
1915年
自由な社会と経済発展を実現し、新しい社会をリードするにふさわしい人材育成を目的として、アメリカ・ミズリー州セントルイスに生まれた小さな青年活動グループから始まったJC運動は、その活動が認められ、アメリカの社会的活動を担う主要な青年団体へと発展していきました。
1944年 国際青年会議所(JCI)の設立
「積極的な変革を創り出すのに必要な指導者としての力量、社会的責任、友情を培う機会を若い人々に提供することにより、地球社会の進歩発展に資すること」を使命に、アメリカ、コスタリカ、エルサルバドル、グァテマラ、ホンジュラス、メキシコ、ニカラグア、パナマの8カ国によって国際青年会議所(JCI)が発足。
1949年 東京青年会議所の設立
戦後間もない荒廃の地東京において、青年会議所の前身、東京青年商工会議所の創設者、三輪善雄氏(当時若干28歳)によって生まれた青年会議所の火は全国各地に広がる。
1951年 日本青年会議所の設立
東京商工会議所の2階会議室に55名の委員は創立総会に臨んだ。開会が宣され、まず丸晋設立準備委員(東京)が東京JC設立から今日に至る経過を報告し、次に満場一致で東京JC理事長の黒川光朝が議長に選出された。 定款、役員選任は原案とおり可決され、別室で第1回役員会が開催され、初代会頭には黒川光朝が就任した。そして、ここにJC運動の要というべき日本青年会議所は10JC、506名をもって誕生した。
1951年 第6回世界会議にて国際青年会議所(JCI)に正式加入
初年度の大事業として国際青年会議所(JCI)との提携があった。1951年5月にカナダ・モントリオールで開催された第6回JCI世界会議には黒川会頭を含む6名の代表団を派遣した。開会式において、時のJCI会頭フィリピンのラモン・ロザリオの冒頭演説であった。「JCには国境も民族もない。それは、全世界の青年のものである。その誇りにおいて、われわれはいまここに、かつての敵国日本のJC代表団を、心からなる歓迎をもって迎えようとする」ウワーッという拍手、まばゆいばかりにスポット・ライトが日本代表団に当てられる。全員が立ち上がって、いっせいにこちらを向いた。JCI正式加盟は直ちに日本JCへ打電された。講和条約調印以前に国際団体に加盟している日本の団体はロータリークラブのみであった。
1967年 因島青年会議所の設立
因島の地においても弓場敏男元OB会長をはじめとするチャーターメンバー及び、尾道青年会議所のスポンサーをうけて全国で375番目の青年会議所の誕生。
現在、JCIは119NOM(国家青年会議所)が加盟、会員数16万人以上の世界でも最も大きな青年団体です。現役メンバーに加え約250万人以上のOBがいます。毎年11月には世界会議が開催され、世界中のメンバーが一堂に会する重要な国際交流の場となっています。日本には、697青年会議所があり、約32,000人の会員が活躍中です。
1950年 JC三信条「修練・奉仕・友情」(1950年5月1日 JC懇談会にて採択)
1950年5月1日に、現在の日本青年会議所の前身であるJC懇談会の中でJC運動の行動綱領としてこの三信条が採択されました。JCの性格は、その基本理念として、全世界普遍の人類愛にあります。 人類はすべて平等であり、特定の団体あるいは政党などに偏ることなく、何者にも左右されないもっとも正しい道を歩み続けます。 この方針を貫くためにもJCの各メンバーが心がける事として三つの項目を信条としています。
・個人の修練=TRAINING 地上最大の宝は個々の人格にあり。
社会への奉仕を志すものは、まず自己の修養に努め、良識ある地域社会人として、また指導者たる誇りを持たなければなりません。こうした個人や集団の指導力開発(Leadership Development)とは実践的な活動の中で養成されるものとしています。
・社会への奉仕=SERVICE 社会への奉仕は人生最大の仕事である。
戦後の虚脱状態から自由民主主義国家という新しい日本の再建に立ち上がった当時の青年たちが団結し、その強い団結力と勇気をもって、常に時代を先取りし、自らの手で積極的に社会への奉仕を行ってきました。この知己活動が地域社会への発展、国家、世界の平和に貢献するものとしています。
・世界との友情=FRIENDSHIP 友情は国家主権に優先する。
JCは同じ目的を持つものの集団です。個人の力には限界があり、個人ではできないことも集団の力を持ってするならば可能です。その力をフルに発揮するには、個人の相互の理解と友情がなければ成 功しません。この友情の結びつきが都市から都市へ、国家から国家へ、そして世界中へ広がり、ついには大きな人類愛に高められ、世界の平和に貢献します。
この三信条の意は、JC運動とは、若い人たちが集まってトレーニング(自己啓発・修練)を行う場であり、培われた力を用いて地域社会にサービス(奉仕)する事である。そして、そのトレーニング・サービスを支える力として、会員全員、同志を貫くフレンドシップ(友情)があるというものである。
1960年 JC綱領 (1960年12月 日本青年会議所 総会決定)
われわれJAYCEEは
社会的・国家的・国際的な責任を自覚し
志を同じうする者、相集い、力を合わせ
青年としての英知と勇気と情熱をもって
明るい豊かな社会を築き上げよう
綱領 解説
昭和35年(1960年)は保安条約をめぐり、まさに激動の1年であった。このような中で、幅広いメンバー層の思想を統一し、日本青年会議所のあり方を再認識する必要に迫られ、「JC三信条」「定款」「JCIクリード」を基礎として「JC綱領」が制定された。この綱領はJCの団体としての理念を確立し、JCメンバー個人の運動目標を明確に位置づけたものである。
綱領の第1節「社会的・国家的・国際的な責任を自覚し」は、何よりもまずJCのよって立つべき「立場」を明らかににしている。
「社会的」― 社会の問題を振り返った時、そこにははっきりした「指向目標をかかげた社会」が考えられ、西欧のいわゆるコミュニティに近い概念をもった 「社会」を意味するようになった。そして、このような「社会」を追求し、建設する責任を持つものこそJCであるとの議論と決意を示すのが、この最初の字句 である。このことは、「社会的」の次に「国家的・国際的」と並列して同次元においていることと、末段に「明るい豊かな社会」と明示していることで明らかで ある。
「国家的」― 創立以来の「新しいナショナリズム」の場は、当時の無国籍的言動の横行する中で新たな勇気と感激をもって再認識されている。そして、さら に、ナショナリストにして初めてインターナショナリストたり得るのであって、無国籍的のインターナショナリストはあり得ないことを明確に打ち出している。
「国際的」― しばし用いられてきた文字であるが、10年のJC活動を得た後に、日本青年会議所は国際的視野においても国際的理解においても、いささか の卑下するところもなく、その気概と自信を公然と披?し得るようになった。このことは、従来「国際的理解と友誼」と表現されていたものを「」国際的責任と 止揚したことに明らかにうかがわれる。
第2節の「志を同じうするもの相集い力を合わせ」は、創立当時『祖国復興』という説明を要せずに共鳴感を伴う目標によって、JCにおける思想的統一は比較的容易であった。しかし、戦後15年を経た当時の 日本は、社会混迷はあるとしても、少なくとも青年経済人が当初目指した経済的復興は、第一義的な旗手として揚げるほどの魅力を失っていた。しかし、このこ とはJCが団体としての存在理由を喪失したことを意味しない。むしろ、社会が安定して他の各種団体が親睦団体や慈善団体に堕そうとしている時こそ、JCは その本質的なあり方を解明してJCの方向を誤らすことのないようにせねばならぬ。JCが何よりも先ず『同志的結合体』であることを、この時点において再確 認したことは以上のような重大な意義を持っている。
第3節の「英知と勇気と情熱をもって」は、説明を必要としない。JCの「行動」を示している。「英知・勇気・情熱」この三つのいずれを欠いても、JCの 行動はあり得ない。むしろ、いささか巨大になったJCの、あるいはJCマンの二世的なことなかれ主義のきれいごとに終始している傾向に警鐘をならしている と見てもよい。
終説の「明るい豊かな社会を築き上げよう」は、創立当初の『祖国復興』は、その旗印としての役目を終え、JCは新しい行動目標と思想統一を必要としていた。『明るい豊かな社会』これがJCの行動方向である。
2001年 JC宣言文(2001年10月12日 全国会員大会 総会採択)
日本JCは70年代以降、日本の将来を見据えながら、10年毎を区切りに運動指針を定めてきました。その中で、JC宣言もまた、その時代時代によって見直される運動指針の歴史的な変遷に伴って以下にあるように、改訂が行われてきました。
2002年度よりJC宣言が新しくなりました。それまでのJC宣言は1988年に制定されたものであり、制定されてから10年以上が経過しており、現在の社会情勢にあわせた新しいJC宣言の策定が求められていました。
日本の青年会議所は
混沌という未知の可能性を切り拓き
個人の自立性と社会の公共性が
生き生きと協和する確かな時代を築くために
率先して行動することを宣言する
JC宣言文 解説
「日本の青年会議所は」
創始の時代とは大きく異なり、多くのNPOやNGOが設立された今、JC及びJaycee一人一人が、我々はいったいどこのなにものなのか、まさにその主体としてのアイデンティティを 明確に示すことが求められているのである。 日本の全てのLOMが共通に使える’我々’(We are)それが、日本の青年会議所である。
「混沌という未知の可能性を切り拓き」
‘混沌’とは’混迷’とは異なり、マイナスの状況を示すものではなく、それ自体は正負どちらにも展開しうる、 エネルギーが充満したニュートラルな状態を表すものである。現実としては、いつの時代、どこの社会にも混沌はあり、それを切り拓き、 新たな秩序作り出すことが出来るのが、我々青年である。とりわけ今の日本社会にこそ、その混沌をどのように切り拓いてゆくかが 問題の本質であり、青年会議所の真価が問われているのである。
豊かさや平和への思考が無条件に信じられた時代を経て至った現在の’混沌’というべき状況を、先行き不安という悲観的な捉え方ではなく、青年の特権として、「未知の可能性」として前向きに捉え、 それに向かっていくものこそ、21世紀変革の能動者の姿であろう。
「個人の自立性と社会の公共性が」
ボランティアであると同時に経済人であることが、我々JCの存在基盤である。そこには常に、個人と社会人、それぞれのあり方の兼ね合いをどうするかという問題が存在する。個人としての自立が必要であることは言うまでもないが、 それだけではなく、公共にいかに貢献するかを考え 行動することが必要なのである。’自立’にもさまざまな考え方があり’公共’にもいろいろな立場がある。それらの多様性をまさに「自立性」、「公共性」として、青年会議所は幅広く包含しつつ、 両者のより強くより高いバランスを求めなければならない。
「生き生きと協和する確かな時代を築くために」
個人の自立性は度が過ぎれば、社会の必要を認めなくなり、社会の公共性のみを重んじれば、 個人はもはやそのための歯車に過ぎなくなる。 「生き生きと協和する」とは、そのような極端な偏りが生じないように、それぞれの意義を認め、 それぞれを生かすことを意味する。そのバランスを取ることによって、’混沌’から’確かな時代’を築くことになるのである。
「率先して行動することを」
これまで述べてきた目的を達成するために、青年会議所がすべきことは、それを観念や理想として提示するだけではなく、 「率先して行動すること」こと、つまり様々な地域において、地域のリーダーとして具体的に行動することである。自ら進んでの行動こそが我々の使命であり、 その存在意義なのである。
「宣言する」
「宣言」は、それ自体がJCの外部に対しても守らなければならない、 守るための努力をしなければならない約束の表明であるJC宣言が 「宣言」という言葉のみに終わらないようにするためには、 その成果、評価ばかりを求めていくのではなく、それを踏まえた実践を積み重ねなければならない。 それでこそ、「宣言」としての本当の意味を持つのである。